
大きな食材は鍋で食すべし千葉さんが可愛い少女だった頃(もちろん今でもとても可愛らしいのです)のお話。東北の代表的な魚、ハタハタが大好きだった千葉さん。「一度でいいから、ハタハタをお腹いっぱい食べてみたい」と心の底から思っていたそうだ。「お腹いっぱいとは何匹くらいですか?」と聞いたところ「五、六匹かな」というお答え。魚を五、六匹食べるというと驚かれるかも知れないが、この地域ではハタハタを食べる時、誰もが二、三匹は当たり前に食べる。それでも五、六匹というのは、いつもの倍食べたい、という大変食欲旺盛な答えではあったのだ。少女の頃の気持ちは変わらず、今でもハタハタをこよなく愛する千葉さんである。五匹のハタハタを手にした時の満面の笑みは、まさに少女の笑顔そのものであった。秋田の冬魚の代名詞である「ハタハタ」。一番の収獲期は、海が荒れる十一月末から一月まで。その時期、どこの家庭でもハタハタ三昧の日々を送る。そんな人気者のハタハタを使った鍋が「しょっつる鍋」である。「塩汁」と書いて「しょっつる」と読む。魚(ハタハタなど)と塩を漬け込んだ、読んで字の如く、しょっぱい魚醤を使用した秋田の代表的な鍋だ。「しょっつる」の代わりに、醤油・出汁・酒・塩で鍋のスープを作っても美味しくいただける。なにしろ「ハタハタの鍋」というだけで、みんなの食欲が倍になるほどなのだから。 もう一つの秋田の冬の代名詞と言えば「きりたんぽ」。本来「きりたんぽ」は、新米の収穫を祝って食されていたらしいが、現在は、冬の鍋と言えば「きりたんぽ」と言われるほど有名になった。「きりたんぽ鍋」には比内地鶏も使用し、野菜もたっぷり入れる。米の栄養もきちんと採りながらお肉も野菜も一度に食べられるとあって、時間があまりないお母さんにも、「きりたんぽ鍋」は大変重宝されている。 |
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千葉さんの挑戦お料理上手なお母さんを持つと、その子供はグルメになる。巷の無粋な料理屋では満足出来ないと、仙台に住む千葉さんの息子さんは、母の手料理をいつも恋しがっている。さらには母へ無理難題を突きつけた。「新しく、簡単でヘルシー、それでいて美味しい料理を作ってはくれぬだろうか」と。そこで千葉さんは考えた。見た目も味も栄養も、全ての調和がとれた息子さんでも簡単に作れそうな料理・・・。試行錯誤を繰り返した結果生まれたのが、フランス料理店で出てきそうなこの一品。豚肉と白菜のミルフィーユ。作り方は簡単。白菜豚肉、白菜豚肉、白菜豚肉・・・と重ね合わせ、豚肉の上からたっぷりの胡椒をこれでもか、と振りかける。白菜と豚肉の塔ができたら、蒸し器で蒸して出汁をかけるだけ。出来上がったものを縦に切ると、断面は美しいミルフィーユ状に。息子さんはこれを食べて大喜び。しかしながら、この料理を食べて以降、前にも増してグルメになってしまった、とか。 |
半世紀ほど前。雪解けとともに春が来ると、夕暮れ時この町は、炭と魚の焼ける芳ばしい匂いに包まれた。その当時、春になると「かど」と地元の人が呼ぶ「ニシン」が大量に獲れた。それを玄関先に出した七輪で焼いて食べるのが、春を味わう方法だった。どこの家でも七輪に「かど」。その光景は春を喜ぶ象徴的なものとして、今でも千葉さんの脳裏に焼きついている。そのお話を聞いて微笑ましくもあり、恐ろしくもなった。旬のものを旬に食すという当たり前の事が失われてきている、という恐ろしさだ。いつでも何でも手に入る、旬も四季も関係のない時代。旬のものを旬に食す、ということの本当の意味が忘れられている気がした。「贅沢だ」とか「高級な」とは無縁の本当の意味だ。それは、その食材の自然な成長を待って食す、という単純明快な事実だけである。旬のものは沢山収穫されるから、当然安く手に入った。贅沢とか高級だとか、そんな付加価値がついてしまっていること自体、大きな間違いなのである。
千葉さんの台所には沢山の漬物が常備されている。春から秋まで、土地にあった野菜を自然のままに露地栽培し収穫する。見た目は悪いが、皮がパリッと中は瑞々しく芳醇な匂いがする野菜たち。それらを様々な漬物にして楽しんでいる。その漬物たちは色鮮やかで、大袈裟に言ってしまえば、千葉さん自慢の宝石箱のように見えた。
お腹もいっぱいになったことだし、今日はこれくらいでお暇しよう。「台所の片付けを手伝う」という私の申し出は丁寧に断られ、感謝の気持ちを抱きつつコートを羽織って玄関に立った。
いつものように「また来ます」と私がいう。いつものように千葉さんが手を振る。「またいらっしゃい」。